こんばんは、ぴお(@entamo1)です。
早速10月4日公開の『ジョーカー』を見てきました!
評判通りの良く出来た映画で、ホアキン・フェニックスすごかったです。
ホアキンの演技がすごいのはもちろん、総合力が高い映画だなと思いました!
まだ消化できない部分も多々ありますが感想を書いてみます。
『ジョーカー』あらすじ
(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics.
「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。
都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに秘かな好意を抱いている。
笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気溢れる<悪のカリスマ>ジョーカーに変貌したのか? 切なくも衝撃の真実が明かされる!
『ジョーカー』キャスト&スタッフ
キャスト
アーサー・フレック/ジョーカー -ホアキン・フェニックス
マレー・フランクリン -ロバート・デ・ニーロ
ソフィー・デュモンド -ザジー・ビーツ
ペニー・フレック -フランセス・コンロイ
ギャリティ刑事 -ビル・キャンプ
バーク刑事 -シェー・ウィガム
トーマス・ウェイン -ブレット・カレン ほか
スタッフ
監督:トッド・フィリップス
脚本:トッド・フィリップス、スコット・シルバー
『ジョーカー』感想
前評判が良過ぎて期待値が上がり過ぎたけど、とても完成度の高い傑作であることは間違いなし。
ホアキン・フェニックスの演じる狂気、絶望、画のカッコよさ
主人公アーサーは病気で老いた母と二人暮らしでピエロの仕事でなんとか生計を立てている。
そして持病を持っており、自分の感情とは全く別のところで笑ってしまう、しかも声をあげて。
そのせいで気味悪がられ、敬遠され、苛立たれ、馬鹿にされ、邪魔にされる。
この病気の為に出る笑い声が印象的で、甲高く目立ち彼の本当の笑い声とは全く違うものだ。
むしろ彼の感情としては「笑い」から遠いところにある、悲しさや苛立ち、恐怖を感じている時にこそ笑っていたように思う。
演技としては感情の表現がいくつも同時に起こりとても難しいと思うが、ホアキンはよく演じ分けていた。すごい。
表情がころころ変わるので注目。
病気からくる笑い声をあげた次の瞬間には真顔でいるから、ヒャッと一瞬冷たいものを感じる。
アーサーはあばら骨が浮き出るほどガリガリに痩せていて、食事もろくにとっていないギリギリの生活をおくっている。
肉体的にも完全にジョーカーだったホアキン。よく表現していた。煙草もフィルターギリギリまで吸う。
希望の無い毎日の唯一の楽しみは、母親と一緒に見るテレビショー。
そのショーを見ている時には目を輝かせて本当の笑い声をあげ、楽しんでいた。
普段の彼が「普通の」良心や興味、周囲の人への優しさを持っていたところが垣間見えて安心できたポイント。
彼の生活を見ていたら、ピエロってなんだか元々もの悲しいものだよなと思った。
人に笑って貰うために滑稽なことをして道化になる……ピエロの心境は如何ばかりか。
笑いは時に凶器にもなり得ると強く感じた。
自分の気分を良くする為、もっと下の誰かがいると自分を安心させるために笑う対象を探す人間がいる。
だから誰もが人に笑われたくはない。
アーサーはコメディアンになって自分の意志で「人を笑わせたかった」のであり「笑われたかった」訳じゃない。
同時に人を笑わせて笑顔にさせるコメディアン、お笑いの仕事の尊さも強く感じた。
その瞬間があるだけで、最低でどん底と思えるような人生に光が射すのかもしれない。
(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics.
その後あることがきっかけでアーサーの中に狂気が目覚め始めてしまうのだけど、それは単なる悪ではないようにも見える。
彼にとってはこれまで抑えつけて無視され続けた自分の解放であり、主張だった。
そこにしか自分の存在価値を見出せなかったとしたら。
そうなると彼の悪事が、彼の中では随分爽快なことのように思えてくる。
このあたり、ホアキン・フェニックスの表情や動き、音楽、太極拳かのようなダンスを取り込んだ演出が素晴らしく効いていた。
そしてどのシーンをとっても画になりカッコイイ。
特にラスト近くの長い階段の途中で踊るシーンはとても美しく素敵だった。
それとあのドタバタした走り方がとても印象に残った。ピエロ靴なら理解できるんだけど。
不遇の環境と社会が作った「ジョーカー」と言う男
冒頭ピエロをしていたアーサーが不良たちに狙われ暴行を受け金を盗られるシーンでは、なんて理不尽なんだと思って怒った。
その後その不良たちのせいで仕事で使った店の看板を弁償しろと言われて、またなんて理不尽なんだと怒った。
だがゴッサムシティはこんな理不尽ばかりがまかり通る街である。(特にバットマンがいない時代)
アーサーの生活は母親の介護、仕事や街での不遇、病状は改善せず薬ばかり多くなる。
福祉制度で受けていたカウンセリングが公費が出ずに終了に。
さらに追いうちをかけるように仕事でヘマをして、クビを言い渡される。
ギリギリの状態に追い込まれていた。
ゴッサムでは福祉の費用はどんどん削られ、住人たちの不満が溜まり爆発寸前。
金持ちと貧乏人の格差は広がる一方で、街はスラムのよう。
暴徒化しかけたデモが行われ警察官との間で暴動が発生。
アーサーのように持病を持った人が働ける場所は簡単には見つからない。
完全に住みたくない街No.1となっていた。
こんな街はそうそう無い、映画の中の話だろうと思いたかったが、こんな不遇や理不尽はあの国でも、現代の日本でも多分よくある。
見ようとしない人には見えないところで、たくさんの理不尽は常に起きている。
そう思うとゾッとして背筋が寒くなった。
大金持ちのトーマス・ウェインが市長選に立候補した時に語っていた。
「落伍者を救い上げなければ」という言葉に違和感を感じた。
落伍者って何よ、と。
ブルースの父であるトーマスが善人か悪人かは知らないが、弱者を経験していない成功者には、弱者の気持ちは分からないだろうなと思った。
誰だって苦労や努力を重ねれば後に成功できると、自分の偶然かもしれない成功経験を他人にあてはめがちだと思う。
結果、アーサーに同情する気持ちが高まるのだけど、彼が狂気に目覚めてある行動を起こしたことによって一気にその同情は冷めていく。
代わりに恐怖と、彼に同調してちょっと気分が良くなる謎の爽快感、その後に少しの後ろめたさがやってくるのが奇妙で面白い。
以下、ネタバレ注意
幼きブルース・ウェインやバットマン誕生との繋がり
アーサーの母は昔ウェインの家で家政婦をしていたようで、現在生活が苦しいことをトーマス・ウェインに訴えれば、彼が助けてくれると思っていた。
そしてアーサーはトーマスとの間にできた子供だと手紙に書いている。
しかし彼女は妄想性の精神障害を持っており、トーマスが言うにはアーサーは自分の息子じゃないと。
これは恐らく信じていいと思う。
一瞬、ジョーカーとバットマンがまさかの腹違いの兄弟!?と思ってテンションが上がったが、違った。
いや、違って良かったのかもしれない。
とはいえここで、アーサーからは金持ちの代表、そして自分を冷遇する存在に見られたウェイン家との間に因縁が生まれた。
幼いブルースも登場しますが、すごく大人しそうな聡明そうな男の子でした。
そしてジョーカーがアイコンとなった暴動の際に、ブルースの両親は例の薄暗い路地で射殺され、それがバットマン誕生へと繋がっていく。
バットマンは出てこないと思っていたから、このシーンはちょっと嬉しかった。
唯一優しい存在だった彼女が妄想だった時の絶望感
アーサーが恋をした同じアパートに住む女性、ソフィー。
同じエレベータになったときにほんの少し会話する程度。
子供と二人で暮らしている。
ところがそこから恋仲になり、アーサーの母が入院した時にも側にいてくれた。
そして彼の初舞台も見に来てくれた。
アーサーにもこんな人が居てくれて本当に良かったな、と思った瞬間、打ちのめされました。
全ては彼の妄想だったと。
私はこの時が一番辛かったです。
悪い事やつらい事ばかりが現実で、ほんの少しのいい出来事が全て頭の中だけの妄想だったなんて…悲しすぎる。。
おそらくその時に理解したアーサーと同じく、小さな絶望を感じた。
善悪を決めるのは主観だ、と言い切ると世界が崩壊する
(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics.
アーサーの心情はある程度理解出来て、彼も母親と同じく妄想を起こしがちなのは分かった。
けれど、殺人衝動に至る過程がイマイチ理解できなかった。
最初から理解出来ないなら良いんだけど、途中まで「普通」っぽい心情の表現があった上でそこだけ理解できなくちょっとモヤッとしている自分がいます。
いや、理解出来たらマズイのかもしれないけど…
職場のランダルから何故か銃を貰って、それが使える環境にあったことが一つ。
そして例の地下鉄で3人組に絡まれたことが一つ。
でも護身の為なら銃を抜いて構えるだけで良かったはず。
襲われた弾みで撃ってしまったなら、逃げて行った男を追いかけて確実に殺すことまでしなかったように思う。
そこには明確な殺人の意志が見えて怖かったし、何故?と思ったんですよね。
母親の為だったならなんとなく理解できる。
自分が逮捕されたら母が暮らしていけないからっていう理由だと筋が通る。
でも母親がよぎったようには全く見えなくて。。
それとも既に彼は狂気の中で理由なんて無くて、衝動的なものだったんだろうか、とも考える。
アーサーが逃げ込んだ先で、絶望の中踊るダンスを見て美しいと思ってしまったが、彼はきっと満足していた。
その後自分の狂気を確認したジョーカーが「善悪を決めるのは主観だ」と言っていた。
でもそれでは人間社会は崩壊する。
自分(の精神)は保てるかもしれないが法も秩序もモラルも無い、支配と暴力だけの世界になる。(実際ジョーカーが望むのはそんな世界だろうけど)
そしてその世界にも理不尽や不遇は存在し続ける。
自分か世界か、善か悪かの二つにひとつと決めてしまうのはとても危険な考え方だと思う。
最初の方のカウンセリングのシーンで「狂っているのは、僕か世界か?」と問うている。
その答えは、「狂っているのはアーサーの中の一部で、そして世界の一部だ。」というのはどうだろうか。
どちらも狂っている部分はあるのではないか。
そう思えば、極端な結論に至らないのではないかと考えた。
結局どこからどこまでが彼の妄想なのか
気になるのは最後のシーン。
恐らく精神病棟へ入れられたジョーカーがカウンセラーと話している。
冒頭でカウンセリングしてたあの女性。
その後ジョーカーは手錠をしたまま部屋を出て踊りだすのだけど、その靴跡はべったりと血にまみれていた。
恐らくあの女性を殺してしまったんだろう。
けれどどこからどこまでが彼の妄想なのか?と疑わせるような作りになっている。
ひとつの線として、「この映画の最初からすべてが彼の妄想である」というのも考えられる。
最初に出てきたカウンセラーと最後の病院のカウンセラーが同じなのはそういうニュアンスを感じる。
この映画で語られるとても人間らしいジョーカーのほかに、もしかしたら根っからのサイコキラーでカリスマであるジョーカーの存在を両立させる意図だったのかもしれない。
そういうジョーカーの方が、キャラクターとして好きって人も多いかも。
最後に評価
ジョーカーの心情と誕生の過程を丁寧に描いていて面白かったです。
妄想と現実の織り交ぜ方や画の美しさ、美しく有名なオールドミュージック。
脚本、カメラワーク、そしてキャストなどどれをとっても一級品で総合力が高い作品だと思います。
感想を書いていたら色々どういう意味だったんだろう?と謎を感じる部分が出てきたり、何度も見返すと新たな発見がありそうな作品だと思います。
派手なアクションなどは無いのでそういうのを期待して見るとちょっと違うかも。
それと観る人のメンタルの状態を選ぶ作品だと思いました。
落ちてる時に観るのはやめた方が良さそうです。
※本ページの情報は2020年2月時点のものです。最新の配信状況は各サービスサイトにてご確認ください。
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